ヤマノススメ

三日坊主どころか三月坊主のようです。
こんにちは。今日は曇り空です。
 
このしばらくで色々とありました。
一つ挙げるならば退職しました。
色々あったのです。
 
そうして無職になって何をしたのかというと
山に登りました。先立つものがないのに…。
 
今日はそのお話です。
 
 

きっかけ

なんでも挑戦したいお年頃なので、以前から登山に興味がありました。
しかし、アウトドアに精通している人間関係が皆無だったので興味の段階で止まっておりました。また、初期費用がかかるというのも二の足を踏む要因の一つでした。
 
登山への興味も薄れつつあったのですが、ある日職場で山の話題になります。
職場に登山する人たちがいたんです。
興味があると話したら当然の如く誘われました。
 
「山はいいぞ」と。
 
 

飛んでいく福沢諭吉

話があってからしばらくして、「靴を見に行くんだけど、一緒に行かない?」と誘われました。フラグです。フラグがたちました。
登山用品を買おうにも右も左も分からなかったのでこれとない好機が訪れたわけです。
 
とにかく靴と雨具とザックがあれば大丈夫との談にモンベルなどの登山用品店を見て回ったのですが、種類が多すぎる。どれがいいんだ!
 
一番大事なのは靴だということは素人でもなんとなくは理解していたので靴を選ぶ。
色々履いて、偏平足を呪いながらも靴を購入。
 
モンベルのティトンブーツにしました。
今後も考えるとミドルカット以上はあった方がいいとのことで、加えてゴアテックスで、ソールも良さげでした。デザインも好み。
 

 

 

 

 

 
偏平足なのでインソール(4000円ぐらい)も買い、2万円ちょっと。まだ許容範囲です。上を見るとキリがないです。
 
そして雨具、色々見てたのですがあんな薄っぺらいのに防風防滴機能があるって凄くないですか。どうやらゴアテックス一強のようです。
 
これなら間違いがないということで、ストームクルーザーを購入。これも2万円ぐらい。
ここですでに4万円使ってます。東京に1泊2日で遊びに行けるレベルです。コワイ!
 
ところで、アウターのカラーリングがすごく鮮やかなものばかりなのですが、これは遭難した時などに見つけてもらいやすくするためなのでしょうか。きっとそうなんでしょう。
ちなみに僕はオレンジにしました。後々に色んな用途で使えるのだからもっと大人しめな色にすれば良かったとちょっと後悔してます。
 
最後にザック。これも種類多すぎてどれがいいのか全くわからない。
高くなればなるほど機能的になっていくようですが、そんなすごいところに行くわけでもなく、今後も果たしてそうなっていくのかわからないのでそこそこのものを選ぶことに。
そもそもすでに諭吉を4人失っております。そろそろ予算が死にます。
 

 

 

 

[モンベル] mont-bell レラパック30 Men's 1123873 GM (GM)
 

 

 

 

ザックはこちらにしました。
とりあえず30Lあれば問題なさそうです。むしろ30Lあれば軽くバックパッカーもできるそうです。これで1万円ちょっと。旅行する時とかにも活躍できそうです。
 
お会計はざっくり6万円でした。初期費用すごいすごいです。これをどうして退職してから始めたのかコレガワカラナイ
 
もう後半は勢いです。買ってしまえ買ってしまえみたいな謎のテンションで乗り切りました。お金があると気が大きくなってしまっていけません。
 
色々まとめて買ったので店員さんから「ここで装備していかない?」との提案。なるほどそうきたか。
ほんとは靴も一週間ぐらい履き慣らした方が良いそうですが、なにせ山へ登るのは2日後です。大丈夫なのか果たして…。
 
 

いざ山へ

いざ山へ!って書こうと思いましたが、少し疲れたので実際に登ってみてのお話はまた今度にします。このまま書かない気もしますが、気が向いたら書くとします。それでは。
 
たぶんつづく

一年の計は元旦にあり

11月はうっかり書きそびれてしまったのでこれが今年最後の更新になるでしょう。

 
 
年末以前にクリスマスムードが高まっておりますがっ!
なんと今年は平常運転でございます!泣きたい。
思えば慌ただしい1年だったなぁと感じます。
思い出せる範囲で振り返ってみましょう。
 
 
 
1月:元旦からお仕事。2日3日と仕事がありお正月とは一体…と頭を抱える。
 
2月:1月に使ったクレカの請求を見て頭を抱える。
 
3月:彼女と別れる。頭を抱える。
 
4月:別れたことを引きずってしまい精神的に弱る。ひとり桜を見に傷心旅行へ。
 
5月:職場の環境が変化。なぜか偉くなる。
 
6月:偉くなったので快適な職場になる。
 
7月:仕事で大変な目にあう。くそう。
 
8月:嵐が去ったので平和だった。
 
9月:職場で不穏な動きあり。後に辛い目にあう。
 
10月:大厄災。僕が何をしたというんだ。
 
11月:平和だったなぁ…。
 
12月:今年もなんだかんだで忙しかったなと思う。
 
 
こんな感じ。
主に仕事でいろいろあったのですが、元旦からお仕事したのがよくなかったのかもしれないです。今年のおみくじは大吉でしたがよいことはなかった気がするな…?
一年の計は元旦にありと言いますので来年はしっかりとお休みして計画を立てたいですね。
 
あと来年こそは節制するぞ。…するぞ!
 
 
では皆さんメリークリスマス&良いお年を。

思い立ったがなんとやら

 「思い立ったが吉日」という言葉がある。
今日できることは明日に延ばすなということだが、対には「物には時節」という言葉もある。
何事にも時機があり、なんでもかんでもすぐやればいいってもんじゃないぞと。物は言いようである。
 
 

“希望的観測”と書いて“可能性”と読む

お酒を飲んだので気分が良い。

なので一筆窘めようと思う。
 
僕は色んなことに興味がある。
しかしどれも中途半端でもある。
 
お茶が好きで紅茶のこと調べたり色々飲んだり、作れそうだなという軽い気持ちからお菓子を作ったり、大してグルメでもないのにフレンチを食べに行ったり、羊羹がそこまで大好きでもないのに羊羹コレクションなるイベントに目を輝かせたり、単純にワインが飲めるようになりたいという気持ちでワインを買ってみたり、戦闘機がカッコ良いという理由で航空祭に行ったり、綺麗な風景を撮りたいからカメラを買ったり、世界遺産が好きだから世界遺産検定を受けてみたいという気持ちになったり、なんとなく料理教室にも行ってみたいというのもある。
……枚挙に遑がないとはまさにこのこと。
 
要するに適当なのである。
適当だが僕にとってはそれなりに大事なことでもある。言わばそれらは楽しみであり、他人に否定されてしまうと悲しいのだ。
 
興味があるということを言わなければ否定もされないのだろうけど、やはり僕も人の子、評価されたいという気持ちが根っこにはあって、小さな自尊心を満たす為にやってるなぁと思うときがある。
 
なんでもできたいとは思うが、自分にはそれらを極める気概はないし、ある程度満足したら飽きてしまう。僕には努力をするということが欠けている。
その割にはここまでは出来ないといけないという制約を課してバカみたいにハードルを上げて苦しんだりしている。バカみたいにというかバカである。
 
とまぁ飲みながらそんなことを考えていたのだが、果たして僕には出会いがあるのだろうか。あったとしても価値観を共有できるのだろうか。
急にそのような不安がふつふつと湧いてしまい、どうしようもなくなったのでこれを書いている。女の子と飲んだから気分は良いんだ。
 
しかし前述の通り、僕は努力ができない。
結局のところは良い巡り合わせが訪れないかなぁと神に頼る始末である。
 
でもねでもね、「希望的観測」という言葉があるでしょう。字面がよいよね。
そうであってほしいという僅かな希望でも0%ではないという可能性をあるんだ。
だからいつか必ずよい出会いが…。
 
そんな僕にタイムリーな言葉が読んでいた本から放たれる。
 
「可能性という言葉を無限定に使ってはいけない。」
 

三つ子の魂百まで

今週のお題「一番古い記憶」


退屈なのでお題で茶を濁すとする。

一番古い記憶というわけで、僕の一番古い記憶を語ろう。

僕の24年というまだまだ短い人生を語る上で避けては通れない出来事がひとつある。それは僕がまだ3歳の頃の話。


当時の僕は金沢に住んでおり、ちょうど弟が産まれたばかりであった。そして僕は幼稚園ではなく「ぴよちゃんクラブ」なる未就園児教室というところに通っていた。というのも親の仕事の都合により転勤が決まっていたため幼稚園へはあえて入れなかったのだろう。


当時の生活などはよく覚えてないが、母親から話を聞くにはその時の僕はトミカが好きだったらしい。特にギミックのあるタイプのやつ。よくデパートに行くと毎回のようにトミカをねだっては駄々をこねていたそうだ。いやはや全く。


そんなある日、いつものようにトミカをねだっていたのだが、その時欲しかったものがセット物だったらしくいつもより値が張るものだった。

さすがにそれは買えないと怒る母親に対して僕はひっくり返るほど駄々をこねたそうで、それはとても大変だったと聞いた。(当の本人は全く記憶にない)


記憶に残る出来事は翌日に起こった。

朝起きて、寝巻きのまま姉の長靴を履いて家を出たのである。

もちろん目的はトミカを買うこと。買うお金はどうすんだというツッコミは3歳児だから許してほしい。

(それよりも姉の長靴を履いてというところが我ながらに悪知恵が働いているなぁと思った。)

そして、家の前のバス停からバスに乗り、デパートへ向かおうとしたのであった。しかし寝巻き姿の子供が乗ってきて誰も不思議に思わなかったのだろうか。


なぜかデパートへの最寄り停留所を覚えていた僕は人ごみに紛れて降りようとすると、ついに運転手に止められてしまった。呼び止められた時の記憶が断片的に残っている。


僕は運転手によって警察へ保護され、その頃家では僕がどこにもいないと大騒ぎになっていたそうだ。当時は社宅に住んでいたので社宅中に騒ぎが広まり、一躍有名人となった。たぶん伝説として語り継がれているであろう。


警察のお世話となっていた僕はというと、憧れのパトカーに乗せてもらいすごく喜んでいた。騒ぎを起こした張本人は呑気なものである。……これも前科一犯にカウントした方がいいのだろうか。


騒ぎが解決するきっかけは警察官にどこから来たのかと尋ねられたことからだった。

地図を広げて警察官が尋ねると、僕は姉の通っていた幼稚園を指差したらしい。3歳児にして漢字が読めるという天才エピソードが僕にはあった。

そこから警察官が幼稚園に連絡し、幼稚園から家へ連絡がいって僕の大冒険は終わった。

心配しながら迎えに来た親に警察官が「すごく楽しそうにしていましたよ」と。


なお、目的のトミカは無事に買ってもらうことができた。


これが僕の一番古い記憶である。