骨髄ドナー候補になったお話~その6~
お久しぶりです。
すっかり忘れていたまま元号も変わってしまいました。
去年の今頃はちょうどドナーになってあれこれしていた頃だったなぁとしみじみ思ったりしてます。
少し前にはなりますが、著名人の方が白血病になったとニュースになりましたね。
骨髄バンクへのお問い合わせも急に増えたとかなんとか。関心を持つきっかけが出来たということはとても良いことだと思います。
でも、個人的な思いですが、中途半端な気持ちでドナーにだけはならないでほしいということです。
もし適合者が見つかって候補になった時に最後までやり遂げる覚悟はありますか?
やっぱり出来ませんなんて答えを返した時に移植を待つ患者さんがどんな気持ちになるか考えてから登録してほしいです。
あと、これはブーメランになりますが、必ず家族と相談してから登録してください。理解があればよいのですが、家族の反対が辞退される方の半分以上を占めているということをどうかお忘れなく。
(閑話休題)
それでは続きを書きます。
入院していろいろと見て回り、物足りなさを感じる病院食を食べて、あとは寝るだけとなったのですが、まー眠れないんですよね。
仕事柄、夜型人間な僕に21時消灯6時起床は鬼のようなもので、消灯時間が過ぎて寝付いたのが朝4時頃。2時間後には起床なんですがー。
それでも身体がふつーじゃない環境であることを感じているのか起きれてしまうのですね。
手術前日の21時以降は絶食の当日は朝6時以降は飲水も不可。たぶんここで色々と出しておかないと浣腸とかされるんでしょうか。
場合によって浣腸等がありますの文字を見た時には戦慄しました。それだけは勘弁して……。
ドナーさんは朝一に手術の予定が入るそうで、朝一の手術室は各科から患者が集まっており結構ごった返しになってました。
僕の横には父親に抱かれた子供がいたのですが、あの子は何の手術をしたのか今でも気になります。
順番が来て、ドラマでよくみる手術台の上に寝そべり、本人確認をして、着々とオペの準備が整っていきます。
全身麻酔ということで、導入は笑気ガスで麻酔をするのかと思っていたのですが、なにやら手の甲にルートをとってそこから静脈麻酔という方法でした。
息を吸ったら意識がなくなるのをやってみたかったのですが……。
手の甲から採血をしたことある人なら分かると思いますが、手に針を刺すのはめちゃくちゃ痛いです。術後の痛みなんかよりもこれが一番痛かった…。(手に20Gはホントに勘弁してほしい)
麻酔に抵抗する気マンマンだったのですが、痛い痛いと思っていたらいつの間にか意識がなくなっており、次に看護師さんの呼びかけで目覚めました。ホントに一瞬なんですね。2時間程経ってたようです。
手術の内容としては、全身麻酔後に腸骨に専用の注射器を刺して骨髄液を抜きます。
ただ、一度に取れる量は微々たるものなのでこれを何十回と繰り返すそうです。
皮膚上は同じ位置から何度も刺しますが、中で角度を変えているそうで、腸骨には色んな箇所に針を刺してるらしいです。
レシピエント先とドナーの体重などなどで抜く量を決めるそうで、僕は870mlほど抜いたそうです。(事前に自己血を500ml抜いており、手術中に戻してます)
400ml献血したようなものですね。
話は戻って、無事に終わり朦朧としながらも病室に運ばれひたすら眠り続けてました。
術後は自重で圧迫止血するため、同じ姿勢で寝続ける必要があり、これが人によっては苦痛だそうです。
とはいえ身体は動かないし寝るしかできないので苦痛と思う余裕すらなかった気がします。
そんなこんなであと少し。
次回に続きます。
骨髄ドナー候補になったお話~その5~
あけました。>挨拶
忘れていたわけではないんです、書く暇がなかったというか気持ちがついてこなかったんです(クソ)
今更ながらタイトルもドナー候補じゃなくてドナーにで良いんじゃないかと疑問に思ったりもしてますが私は元気です٩( ᐛ )و
それでは本題に。
入院したところからですね。
入院する前に骨髄提供された方のブログとかを色々と読み漁ったりしたのですが、個室の方が圧倒的なんですよね。
そりゃそうだよなーと思いつつも、個室だったら個室料はどうなるんだ?あれは保険適応外のコストでは……?と色々過ぎりましたがどうやら杞憂に終わりました。
当初は違う病棟に入院予定だったそうです。それが何故かクリーンルームの4人部屋に。4人部屋と聞くと水曜どうでしょうが出てくる始末。
ここにヒゲはいねぇ('A`)
クリーンルームというのはですね、血液内科には白血球数が極端に少ない患者さんがおるのですが、その人たちっていうのは免疫力が低いんですよね。戦ってくれる白血球が少ないのですから想像はつくと思います。
そういう人たちを守るためにあるのがクリーンルームです。空気清浄度が高ければ感染を防げるのではという考え方に基づくようです。
ちなみにだいたいの人の白血球数は4000~9000μl程度だそうです。男女差はなく、子供は大人より高値になります。
なお白血球数は個人差があり、一時的に増減はしてもホメオスタシスによって一定に保たれます。なので元から少ない人もいたりします。僕も実はやや少なめだったりします。少ないと免疫力が低くなるのでアレルギーとかになりやすいそうです。
クリーンルームにいる方は白血球数が1000μl以下だったのでその少なさがよく分かると思います。
クリーンルームですが、手洗い場の奥のドアを隔てた先には空気清浄機がゴウンゴウンと音を立てている空間があり、お見舞いにきた人間ですら許可無しには入室が制限されております。
病室の窓は開かず、何度も手洗いするよう言われており、手洗い場も設置されてました。
窓からの景色は良かったのですが、入院したら基本的に外には出れないので数日とはいえ外の空気が恋しくもなりました。
またクリーンルームの中にさらに無菌室があり、骨髄移植を受ける方はここに入ることになります。
窓越しでその中を少しだけ見る程度しか出来ませんでしたが。
僕が入った部屋にはすでに3名の方が入院されており、色々とお話を聞くと地方から転院された方やすでに何度か移植を受けた方がおりました。いよいよドナー提供が現実味を帯びたものになってきました。
個室の方が良かったなーと思ってましたが今となっては患者さんのお話を聞けたのは大きかったなと思います。
荷解きして病衣に着替えると健康そうな僕ですらあっという間に病人の仲間入り。
ただ一つだけ気掛かりなことが……
白血病に限らないのですが、治療で抗がん剤や放射線治療を行う人について回る副作用に脱毛があります。
このクリーンルームにおられる方は皆さんそういう方達であり、女性の方ではウィッグをつけておられる人もいました。
そんなところに髪の毛ふさふさな僕が新入りとして入ってくるんです。
病棟内ですれ違うと奇異な目で見られてる感覚がありました。そりゃそうですよね。
健康体である自分がここにいることが非常に気まずくて息苦しさが出てきました。
僕は健康そのものなので出入りも自由なのですが、入院されている方は出入り制限されてたりします。なので、車内販売よろしく定期的に病院内にあるコンビニから移動販売がやってきます。
僕は下の階まで降りてうろついたりしてたのですが、私服ならまだしも病衣でうろつくのってなんか恥ずかしいんですよね。
なのでほとんどは病室内で積読を崩しておりました。(ここぞとばかりに本を沢山持ち込んだ)
これが僕の根城。(やばかったら消します)
冷蔵庫の使い方が分からんかった…。(ノД`)
ベッドのマットレスが固くて腰が痛かったのを除けばリクライニング機能が神で居心地良かったです。これほしいのだわ。
気軽にナースコールを押してくださいね〜って看護師さんが言ってくれたものの、人を呼んで何かしてもらうことに抵抗があった僕は点滴終わった時ぐらいにしか押しませんでした。(謎の意地)(一度押してはみたかった)
入院中はずっと同じ看護師さんが対応してくれたので気は楽でした。ホントに天使すなぁ。
長くなったので今回はここまで。
続きはまた今度。
すぐ書けるように善処します……。
おおみそかスペシャル
皆さんこんにちは。
いつの間にか大晦日ということなので今年を振り返っていこうと思います。
(Twitter遡り中)
1~3月の出来事なんもねぇ……。
振り返れる出来事が8月以降に集中してますね……。月毎には書くには中身が薄っぺらいのでテキトーに書き連ねることにします。
1~3月に関しては何してたっけ?ってレベルなので、もう少し日々の過ごし方を改めねばならないと思いました。ノー自堕落。
4月からは一人暮らしはじめました。
都市ガス物件を探し、築3年都市ガスオートロック2Fバルコニー付き1LDKという良さげな物件を見つけ、即決定。
ところが下の階は共用スペースとなってることに気づいてなく、床が大変冷えることが判明。
物件選びはむつかしいですね……。
生活自体は意外となんとかなるんだなぁと実感。
5月はなんもないです。たぶん……。
6月には骨髄ドナーの通知が届く。
今年はこれが1番大きな出来事でしたね。
骨髄ブログもそろそろ終わらせます。
7月には正式にドナーとして選ばれたのであれこれ準備。この過程では血縁関係にあっても人は分かり合えないということも知りました。
8月末には入院して手術。
生まれて初めての入院に手術ということもあり恐怖どころか楽しみすぎて少しヤバイ人になってました。
手術は無事終了し術後も何もなく、良いことをしたなーと思いました。来世は安泰でしょう。
この頃にTwitterからMastodonに移行してますね。今年の出来事の後半はほとんどMastodonのおかげと言っても過言ではないです。
9月… なにもないがある。あ、地震ありましたね。電気がないとつらいのがよくわかりました。誕生日が阪神大震災の日ですが、自身が被災者になったのはこれが初めてだったのでつらさが少しは分かった気がします。
10月にはMastodonの大規模オフ。
久々に大勢の方とワイワイさせて頂きました。
会う方々が鴨川花見以来の方も多く、時の流れを痛感しました……。6年も経つんですね。
しかし2ヶ月後にまた飛ぶとはこの時は思いもせず……。
11月も写真を見るとちょいちょい出かけてるようなんですけど記憶が薄いです。うーん。
12月、再びトーキョーへ。
思い立ったが吉日で忘年会に参加。
ありがとうANAマイレージ……。
ホントに楽しい時間をありがとうございます。
北海道から出たい気持ちがどんどん大きくなりますね。
思い返すと自発的に楽しいことを見つけるってことがなかったので薄っぺらい人生になってるなぁと感じました。
来年は自分のことをもっと大事にしてあげたいなと思う一方で、今後の身の振り方を考えねばと危機感をもって過ごしたいと思います。
良くも悪くも影響を受けやすいので、精神的に成長したいものです。
それでは良いお年を。
骨髄ドナー候補になったお話~その4~
随分と間が空いてしまいました。
実は書き始めていた頃はドナー進行中だったので特定されるような情報は控えるようにと釘を刺されておりましたが、もうすっかり終わってしまったので解禁してもいいよね?
えーと、自己血輸血の為の採血までお話しましたね。
この採血の前に健康診断をやったのですよ。
というのも感染症うんぬんはもちろんのこと、全身麻酔を行いますのでスパイロテストという呼吸機能の検査に心電図とかレントゲンとか色々やるんですね。
特にこのスパイロテストがつらい。
やったことある方もいらっしゃると思いますが、トイレットペーパーの芯みたいなやつを口に加えて、息を吸って大きく吐いて吐き続けてってやつです。僕はかつて喘息になった時にやったのですが、何度もダメ出しをくらい嫌というほどやり直した苦い記憶があります。
今回こそはと思っていたのですが、まーダメですよね。何度かリテイクしました。てへぺろ。
心電図もすっごいひさびさにやったのですよ。
すると結果を見た麻酔科の先生が
「この右下がりになってるのは不整脈の人に見られる兆候なんですよね。でもまだ若いから今後指摘されるまでは大丈夫ですよ(ニッコリ)」と言っていたのが気になります……。死ぬのか……。
検査すべてで問題がなければいよいよ入院となります。
はじめての入院にワクワクしていた僕はたぶん変な目で見られていたことでしょう。
ちなみに骨髄ドナーでの入院では入院支度金として5000円給付されます。これでテレビカードなど私費分を払ってということです。
5000円もかかることは基本的には無いのでおつりがかなりきます。めっちゃおいしい。
入院する病棟ですが、血液内科というところになります。あまり目にしない診療科だと思います。ちなみに血液内科はそれなりにやばい症状の方が多く入院されてますので、ドナーさんは大体個室に入院するそうなんです。実際に僕も個室なのかなと思ってました。(個室料はどうなるんだろうと思いましたが……)
しかし入院当日になって知る衝撃的真実。
看護師さん「ホントは一般病棟に入るつもりだったんだけど、ベッドに空きがなくて、クリーンルームの4人部屋になります」
……えっ???
4人部屋?クリーンルーム?
次回に続く
骨髄ドナー候補になったお話~その3~
さてさて続きです。
最終同意までトントン拍子で進んだ訳ですが
この最終同意には親族も付き添いの上、医者と第三者立会人も同席の元で同意書に署名押印が行われます。
ロマサガ2でいうところのラスダンの最後の一歩のとこですね。入ったら引き返せないやつです。
親族にもコーディネーターより骨髄バンクが何なのかを一通り話をして、最後に意思確認を行います。
僕自身はNOという選択肢は持ち合わせておりませんので、提供にあたっての恐怖心とかも全くないとハッキリ言い切りました。
ところがどっこい、付き添いの母親がここで反旗を翻します。
母親自身は反対であり、赤の他人に為に無償でリスクを負う理由はないと思っていると。
また兄弟も反対でした。1対4で反対優勢です。
民主主義ならばここでアウトです。
家族の同意を得られなければ僕自身が良くてもドナーになれません。由々しき事態です。
ドナー候補になった後に何度かこのことで話をしたのですが、全く納得せず、LINE上で兄弟巻き込んでの大喧嘩となってます。
他人の為にリスクを負うことがなぜか理解されませんでした。
何度話しても平行線。
理解されないことが理解できなかったです。
医者も交えて説明してもいまいちな反応なのでついには僕がキレることになり、医者や立会人を前に親子喧嘩に発展。
あまりにも腹が立ったので、ここで反対したら縁を切るぞと言いました。これは本気でそう思ってました。
理解を得られなかった時点で家族全員には幻滅していたので、家族にすら理解されないならこいつらなんてどうでもいいと。
結果として、やらないことで後悔させるのは嫌だという建前(何言っても聞かないというのが本音)の元、消極的賛成ということで署名押印しました。というかさせました。
こうして無事にドナーとして正式に決まったわけです。最大の障害は家族の理解を得るということでしたね。
ドナー候補辞退理由の多くも都合つかずか家族の反対どちらかが大半でした。
本人に意思があっても家族の反対で終わることもあるんです。
助かるかもしれない命があるということをどうかご理解頂ければと思います。
ドナー決定後はいよいよ入院からの手術となります。
ですが、その前に確認検査がもう一度あります。これは手術などにも関わるものなので、入院する病院にて行われます。
また、手術に際して、貧血を防ぐ為に事前に自己血輸血用に血を抜いておくことがあります。
僕は事前に500mlの血液を保存することになったので、その為にも何度か通院することになりました。
献血で血を抜くのは嫌というほどやっているので献血していてよかったなーとしみじみ。
献血の経験がないとこの時の注射針の太さにビビることになるでしょうね。
そんなこんなで今回はここまで。
次回に続きます。
骨髄ドナー候補になったお話~その2~
そういう訳でドナー候補に選ばれたのですが、あくまでもまだ候補の段階。
ここからさらに検査を経てドナーが選ばれるとのことです。同時に5人選定するそうですが、ほんとに5人なのかは分かりません。
ひょっとしたら僕だけという可能性もそこにはあるわけで。
確認検査の日取りを決めて、後日検査を行いに病院へ。
基本的に骨髄提供はボランティアの類になるのですが、交通費や医療費は一切かかりません。
交通費はバンクから、医療費に関しては患者さんの健康保険から支払われることなります。
つまりこの確認検査から支払いが始まり、適合し最終同意を経て手術となればその入院費も負担することとなります。
藁にもすがる思い気持ちなのか、僕がそれを語るのは烏滸がましいものです。
ただ、そこまでしてでもという気持ちだけは伝わりますし、適合者としてまた医療人として無下にすることだけは出来ないという気持ちもこちらにはあります。
確認検査では基本的な採血項目に加えて、感染症などの検査も行います。
基準値もバンク独自のもので普通に行うものより厳しいのかなという印象がありました。
知り合いにも過去に適合者に選ばれて確認検査をした方がいたのですが、その方は肝炎の検査で偽陽性の判定となり、その時点で終了。ドナー登録自体も抹消されたと聞きました。
もし移植となった時には患者には大量の放射線と抗がん剤投与により、自身の造血幹細胞を殺す必要があります。
そうなると患者は抵抗力が無いに等しくなる為、無菌室に入ることになります。
そんな身体に骨髄を移植するわけですからドナーの血は健康そのものであることが絶対なのです。
後日、確認検査の結果が出て、改めて僕にドナーをお願いしたいとのことでした。
定期的に献血もしているので、血の綺麗さには自信があります。(フフン)
こういう機会がなければそういう検査を受ける機会もないわけでこれはこれで良いと僕は思ってます。
そして今度は最終同意。
医師と第三者立ち会いの元、同意書に署名捺印を行います。
これ以降はドナーによる撤回はできません。
逆にここまでは嫌といえば断れます。
この最終同意をもって、患者には確実に骨髄提供を受けられると通達がされます。
そして移植前処置として先程の放射線照射や抗がん剤投与が始まります。
患者にとってはここからがスタートなのかもしれません。
この移植前処置が耐えられなければ骨髄移植はできないので、耐えられない方は骨髄移植の選択肢すらないということにもなります。
さて、僕はというと、ここまで順調にコーディネートが進行していたが、この最終同意で大変な思いをすることになるとはこの時は知る由もないのであった……。
つづく